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updated 2012-08-23

2011.10.30


 「東大生の視点」と題して東大生に様々なことを語ってもらうこのコーナー第4回目は、工学部に所属のKさんにお話を聞いてきました。
脳神経学者であるオリバー・サックス博士の著書『火星の人類学者—脳神経科医と7人の奇妙な患者—』についてです。



脳神経科医オリバー・サックスをご存知だろうか?
 『レナードの朝』という映画を見たことがある人がいるかもしれない。11歳から半昏睡状態が続き、30年以上もの月日を病院で過ごす患者レナード。その病院に赴任してきた神経科医セイヤー医師がレナードの機能回復に取り組む映画だ。
 セイヤー医師は、レナードのように意識はあるものの動くことはおろか話すことも出来ない患者が他にもいることを発見し、その原因が幼少期に脳炎にかかったことによることを突き止める。セイヤー医師は、レナードを救おうと新薬L-ドーパを投与する。そしてある朝、ついにレナードが目覚めを迎える…

 このセイヤー医師のモデルとなったのがオリバー・サックス博士である。サックスは映画の原作となった『レナードの朝』や『妻を帽子と間違えた男』などの驚きに満ちたさまざまな症例を描いた医学エッセイでよく知られている。多くの著書があるが、今回は『火星の人類学者—脳神経科医と7人の奇妙な患者—』(ハヤカワ文庫)を紹介したい。

 本書には不思議な症例をもった7人の患者が登場する。突然、全色盲になり白黒の世界に陥った画家。脳腫瘍により重度の健忘症になり、父親の死さえ覚えていられない青年。トゥレット症候群の外科医。中年になってから視力を取り戻したことで、ものが見える「異常な世界」にとまどう患者。数十年も訪ねていない故郷の風景を記憶だけで描く画家。一目見ただけの風景や建物を絵で精確に再現するサヴァン症候群の少年。自閉症でありながら動物行動学で博士号を取り、研究を進める大学教授。サックスはこれらの人々との交流を通して、人間の脳や意識の不可思議さを描き出している。平易な語り口であるので、専門的な説明がなくても読み進めることができる。
 描かれている症例は、常識から大きくはなれた、驚くべきものだ。しかし、サックスの患者に対する姿勢は、覗き見症的な興味本位のものではなく、また「普通でない」、「治療すべき」病人に対するものでもない。あくまでも同じ「人間」として対等に、丹念に接している。
 例えば、トゥレット症候群の外科医。意志とは関係ないチックにより、奇妙なふざけた動作をせずにいられず、汚い言葉を何度も反復して口に出してしまう。手術中はトゥレット症候群が姿を消し、「普通」の外科医として生きている。優秀な外科医として患者や同僚の信頼を得、妻や子供の理解も得ているが、常に怒りの発作やパニックと闘っている。
 自閉症の動物学者は、他者との直感的なやりとりや人の複雑な感情が理解できず、音楽や風景にも感動することはない。他人に愛情を感じることもない。「私は火星の人類学者のようだ」と言う彼女の言葉は、他人が何を感じ求めているのかを、毎回経験的データの積み重ねから「理論的に」類推しなければいけない孤独を痛々しいほどに示している。

 それでも彼らは、自分の障碍を治そうとは思わない。自分たちの症状は病理現象扱いされるにしても、同時に自己の存在と不可分のもの、アイデンティティであると感じている。トゥレット症候群の外科医は、解剖学と地理学に精通し、セスナ機の操縦までこなす。自閉症の学者は、また優れた視覚的能力を持つと同時に、動物の気分や仕草を直感的に把握することができ、酪農施設の設計を手がける。「もし、ぱちりと指をならしたら自閉症が消えるとしても、わたしはそうはしないでしょう―なぜなら、わたしがわたしでなくなってしまうからです。自閉症は私の一部なのです。」
 彼らは、自分の人生に何が欠けているかをよく自覚しているが、同時に集中力や、密度の高い思考能力、記憶力、率直さといった自分の強みを知っている。欠点と強みは表裏一体なのだ。

 私たちは脳によって環境を知覚し、周囲の世界を認識すると同時に、自己の世界を構築している。本書に登場する7人は、脳に欠損をもち、一般的に見れば異常な体験をしているが、私たちが「健常」だと思っている世界も、彼らと同様にごく脆い基盤の上に立っているのだ。そして、「異常」と「健常」というカテゴリー分け自体が無意味であり、誰もが危うい自己の存在、偏った自己を理解し、受け入れ、自分なりに十全に生きてゆくことが重要だと感じさせられる。一見奇妙な人々を取り上げながらも、普遍的な人間の条件までも見せる所に本書の面白さがある。

 一見SFのようなタイトルの本であるが、文庫にもなっており、とても読みやすい。脳神経学に興味出ること間違いない。『レナードの朝』や、ミロシュ・フォアマン監督『カッコーの巣の上で』などの映画もあわせて観ると面白いかもしれない。




火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)


レナードの朝 [DVD]



妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)


カッコーの巣の上で [DVD]



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